〜60 手前の日々くらし〜

少し不便で、少し便利な地方の日々暮らしを綴ります。

忘己利他



先日、散歩中にカワセミを見ました。

数年前、高校生だった娘が学校帰りに飛び立つ

青い鳥を見た!と言ってたけど、

ワタシは一度もお目にかからずにいて…。

ようやくワタシの前にも姿見せてくれました。


唐突に話しは変わりますが、

誰かが喜んでくれるなら、

いや、喜んで欲しいと思いながら日々を過ごしてきたつもりだけど……

だまされたり、裏切られたりすることもあり、

もうこりた!と心から思うもの。

そしてコリもせず、

同じようなコトに出くわしては、

もうこりたぁー!を繰り返すワタシ。


ある時、

「もうこりた」の

本当の意味は、

〝自分のことを忘れて他人のために生きる〟

という仏教の教え

「忘己利他」だという事を知りました。


個人的な感覚では、たしかに

家庭を持って、家族のためにだよな。

そして特に母になると命がけで

産んだ子どもには、まさしく

その思いで育ててるもんなぁ〜。

子供への思いには勝てないけど

友達や周りにもできるコトは、

自分なりに精一杯やってきたなぁ〜

とか漠然と思いながら、

   

  でも…(やっぱり登場する「でも」w)

 

そんな中でも、

思いを裏切られたり、

スルーされたり、

なぜか反撃にあったりと、

思わぬ結果となった時に、

「もうこんな思いはしたくない!

 もう懲り懲りよ!」と感情の重くままに

感じて、

最後は、ため息混じりに、

「もうこりた😌💦」と、口にして、

うなだれるコトも多々ありました。

でも、なぜかまた同じような事に出くわす。

周りからは、

「ほんと懲りないやっちゃなぁー」と

きっと思われてるだろうし、

自分でもわかってるんだよ。

あー、これヤバいよな。

ぜーったい裏切るやろな。って思いながらも、

ついつい、困ってたりしてたら、

むげにできなくて…。

でも、気付いたのです!


ワタシのは、ただの自己中な

「忘己利他」

一見、他人の為にしているようで、

実は自分の中に隠れてる醜い感情がそうさせてるのです。

他人

「じぶん」のためにであって、

心から

「他人のため」ではないと。


数年前、娘が心躍らせて見た「青い鳥」の話しをワタシは、ちゃんと一緒に喜んであげられなかったのです。

…そんなコトを「青い鳥」が思い出させてくれました。


他の人の嬉しい✨を、

その時その時で、

ちゃんと

受け止められる60手前の日々にしていきたいな。


  あの時はごめんね、娘っち🙇‍♀️